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7月, 2016の投稿を表示しています

MEdオリエンテーション

MEd開始まで1ヶ月となった。同時に内科専門医試験も1ヶ月。 やる事が多すぎてどうなることやら分からないが、受かればいい試験だと思ってまだ知らないふりを続けている。 最近ようやくプログラムからメールでオリエンテーションをネットでするよう通知がきた 早速ログインしてみた 1つのコースにつき、週9-12時間はかかるらしい… 1週間のなかでも小分けに宿題がでるから、週末に一気にやるとか、そんなのではダメだと… 医学校が最後のスクールだったとしたら、あまりの読書量に驚くだろうと… オンラインコースだから、ライティングの量が多い… アカデミックライティングはちゃんと復習しておけ… 復習のための多数のリンク付き… 1学期(Fall Spring Summerの三学期制)につき2つまでを強くお勧めする… ほとんどの人は仕事をしているから、3つコースを取るとまずついてはいけなくなるらしい… フェローシップのカリキュラム上は、1学期に3つとることになってますが… 3つとると、週27-36時間はかかる… ビザのおかげで臨床の量は増やされ 果たしてやっていけるのか… ますます専門医試験どころではなくなってきた

NY州からウィスコンシン州のドライバーズライセンス(運転免許)へ変更

NY州からWI州へドライバーズライセンス(運転免許証)を変更した 今日は予定が入っていなかったので、WaukeshaのDMVへ。ウィスコンシン州では引越してから60日以内に免許をトランスファーすることが求められる。 引越してから直ぐに来なかったのは、住所の証明のための書類を万全にするために、ユーティリティの請求書が届くまで待っていたからだった。 結局ユーティリティの請求書には、自分の名前しかなく、待った意味はあまりなかった。事前に携帯とインターネット会社に連絡して妻の名前を追加してもらったはずなのに… そういうわけで、DMVのサイトに書いてある自動車保険の証明書を住所証明として持参した。結局すんなり受け付けてくれた。他には事前に3001とかいう申請書をプリントアウトし、パスポート、免許証、DSなどをもっていった。 自分の分は直ぐに終了したが、妻はSSNがないので、その場で書類をサインし、確認のために随分待たされてから、紙切れの免許を貰ってその日は終了した。 New Yorkのように厳しくなくてよかった。本物は10日以内には届くらしい。

Master of Education

フェローシップの一環として、Master of Science in translational research (MCW)か、オンラインのMaster of Education in medical education (シンシナティ大学)を選択してとるようにカリキュラムが組まれている。 自分は医学教育トラックで採用されているので、もちろんMaster of educationを選択していた。Master of Scienceの方も、Degreeは取れないが、Certificate(単位数が少ない)は取れるので、同時にとるように勧められた。 二つの大学院コースを同時に受講すると、他のことがおろそかになることが心配なので、とりあえず、秋からはMasterだけ始めることに。 ただ、Master of educationはウィスコンシン医科大学にはないので、普通にシンシナティ大学の大学院に自力で申し込む必要があった。アメリカで教育を受けてきていないので、TOEFLやGREのような試験が必要かが一番重要な問題だった。 ウェブサイトの応募要項には、外国人は志望動機書、推薦状2枚、大学のDegreeの証明、70ドルの申請費用、TOEFL, GREが必要とあった。GREはMDで代用可能ともあった。 日本の学位は米国ではIgakushiとかMBとか呼ばれるので、どうなるのか不明。 ということで、直接メールで問い合わせてみた。3年間内科レジデンシーもやっていて、TOEFLもいらないんじゃないか、今から予定を空けて取るのも間に合うかどうかわからないし、と事情を説明してみた。 するとメールにて、どっちも取らなくていいよ、と返信あり。 志望動機書はフェローシップ用のを手直し、推薦状もフェローシップ用に書いてくれた3人の中から二人に手直しをお願いして申し込み終了。 2週間後の6月中旬には合格の連絡が来た。 秋から大学院生に。

ビザのその後

無事に7月1日からフェローシップを開始できたが、直前まで色々とあった。近年Jビザは本当に制限が大きくなってきており厄介。 採用が決まって以降プログラム側は、ECFMGにプログラムの詳細やカリキュラムを送り、事前に調整して、2月に採用決定の連絡を頂いて2ヶ月以上経った4月末にようやく仕事の詳細にまで言及した契約書をいただいた。 それを元に急いで政府保証書や他のビザの必要書類を集めて、5月の中旬にようやく全ての書類をアップロード。アドバイザーが書類に目を通すのに2週間ほどかかり、最終的なビザの決定には6−8週間かかると言われたので、6月末にギリギリ間に合うとほっと胸をなでおろした。 2週間近く経ってECFMGからの反応は、契約書、カリキュラム、自分の書いたフェローシップの目標に不備あり、再提出が必要との判断。すでに6月になろうとしていた。 契約書やカリキュラムにAttendingとして働くと書いてあるのが気に入らないらしく、フェローは間接的に指導教育するアテンディングがついた状態で働くので、そこはプログラム側も柔軟に対応して直してくれた。 6月中旬には2回目の書類提出を終えたものの、さらに小さな修正を求められ、またもプログラム側に迅速に対応してもらった。 そしてビザが未発行のままミルウォーキーに引っ越しとなった。アパートの契約、車の契約も早々に済ませ、これで7月帰国になったら、経済的にも危機的な状況となる。 6月下旬、ECFMGからビザ発行した旨のメールが届き、2月以降から続いたビザのストレスからやっと解放されたと安心していた。 そしてその翌日、プログラムディレクターから、ECFMGから突如待ったがかかったとの連絡があったのだった。 最悪の結末を迎えるのか。覚悟を決めて詳細を聞くと、最後の最後に目を通した人(審査をしたアドバイザーと同じ人かは知らない)がこれじゃダメだと言ったらしい。いくら監督されていても、指導医の仕事をしてはダメだと。プログラム側もこれまでECFMGの指示通り修正してきた4ヶ月は一体何だったんだ?と呆れ果てていた。 この時すでに6月26日くらいだったと記憶している。もうどうしようもないので、プログラム側も、ECFMGの言う通りに仕事内容を1日で変更してくれ、無事に27日に(2

Fellowship1日目

米国は7/1が年度始め。 オリエンテーションがあるとだけ伝えられていたが、一体何があるかの説明もなく、朝8時半に総合内科のオフィスに行った。 そういえば初めて自宅から職場まで運転するなぁと思いながら、かなりビビりながら職場まで10分ほど運転した。 マンハッタンでは歩いて通勤していたので、ニューヨークで運転したことはZip carを借りた一回のみだった。 高速を走るので、冬の通勤は本当に怖そう。 ちょっと道を間違えてしまい、しょっぱなからギリギリについてしまった。 オフィスに入ると同じく新人っぽい人達が5人程いた。3人は中東系、2人は白人。中東系のうち2人はノクターニスト(夜勤専従)として雇われたHビザの外国人(IMG)でもう1人は通常のティーチングアテンディングとして雇われた永住権を持っている外国人らしい。IMGがいてすこしほっとする自分。 今日は結局アイディーを作ったり、事務手続きが主だった。名前の入った白衣がすでに出来ており、タイトルはインストラクターと刺繍されている。 形だけではあるが、ちゃんとレジデントから1つレベルアップしたらしい。頑張らねば。