無事に7月1日からフェローシップを開始できたが、直前まで色々とあった。近年Jビザは本当に制限が大きくなってきており厄介。
採用が決まって以降プログラム側は、ECFMGにプログラムの詳細やカリキュラムを送り、事前に調整して、2月に採用決定の連絡を頂いて2ヶ月以上経った4月末にようやく仕事の詳細にまで言及した契約書をいただいた。
それを元に急いで政府保証書や他のビザの必要書類を集めて、5月の中旬にようやく全ての書類をアップロード。アドバイザーが書類に目を通すのに2週間ほどかかり、最終的なビザの決定には6−8週間かかると言われたので、6月末にギリギリ間に合うとほっと胸をなでおろした。
2週間近く経ってECFMGからの反応は、契約書、カリキュラム、自分の書いたフェローシップの目標に不備あり、再提出が必要との判断。すでに6月になろうとしていた。
契約書やカリキュラムにAttendingとして働くと書いてあるのが気に入らないらしく、フェローは間接的に指導教育するアテンディングがついた状態で働くので、そこはプログラム側も柔軟に対応して直してくれた。
6月中旬には2回目の書類提出を終えたものの、さらに小さな修正を求められ、またもプログラム側に迅速に対応してもらった。
そしてビザが未発行のままミルウォーキーに引っ越しとなった。アパートの契約、車の契約も早々に済ませ、これで7月帰国になったら、経済的にも危機的な状況となる。
6月下旬、ECFMGからビザ発行した旨のメールが届き、2月以降から続いたビザのストレスからやっと解放されたと安心していた。
そしてその翌日、プログラムディレクターから、ECFMGから突如待ったがかかったとの連絡があったのだった。
最悪の結末を迎えるのか。覚悟を決めて詳細を聞くと、最後の最後に目を通した人(審査をしたアドバイザーと同じ人かは知らない)がこれじゃダメだと言ったらしい。いくら監督されていても、指導医の仕事をしてはダメだと。プログラム側もこれまでECFMGの指示通り修正してきた4ヶ月は一体何だったんだ?と呆れ果てていた。
この時すでに6月26日くらいだったと記憶している。もうどうしようもないので、プログラム側も、ECFMGの言う通りに仕事内容を1日で変更してくれ、無事に27日に(2度目の)ビザ発行の通知が来たのだった。
結果として臨床の負担(夜勤と週末のクロスカバー)が大幅に増えることになった。人生簡単にはいかないようだ。
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