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J1ウェイバーのメリット・デメリット

 今の大学病院に来て4年目  当時に比べ働きにくい職場になったかもしれない リサーチやQIのインフラが改善することもなく3年たったので 博士が終わった後の進路も含めてどうするか考えるようになった そしてちょうどそんな折、J1ウェイバーにアプライするか聞かれた 毎年6月末に病院・医学部のリーダー達がJ1ウェイバーの候補者のランキングを決めるのだが ウェイティングリストには就任時から入っていたものの 病院側としてはホスピタリストにJ1ウェイバーをさせる気すらないと 過去2年はランキング対象外にされたと 3年たちO1の更新の年になったので、流石に科長とビザ担当者が   これだけの貢献をしているのだから彼を残すべきだ  と自分のパフォーマンスデータなどを提出し説得して ようやく、8番目にランクされたと聞いた(はっきり言わなかったが多分一番最後だろう) すでに一人下りた人がいるとのことで 7番目、しかもフレックスでないといけない フレックスが必要な人の中では3番目だと   毎年J1ウェイバーは6スポットくらいもらえているらしく 運のいい年で8スポット フレックスはよくてその中の2スポットくらい つまり可能性は薄いとビザ担当者から聞かされた   そのうえでアプライするかどうか聞かれたわけであるが いつ辞めるか考えているこっちとしては 「は?遅すぎる上に失礼極まりない」 という感じなのだが、とりあえず条件次第なので ウェイバーするとして週40時間臨床ルールはどうなるのか聞いてみた 100%臨床で働いてやっと週42時間の計算なので 2時間X50週としても100時間程度しか臨床から解放されない グラントやディレクターのポジションを取ったところで 臨床をほぼ100%しながら臨床以外の役割をこなさなければいけないということだ ここが超一流の大学病院なら就任7年で臨床100%でも文句は言わないが ここで7年たって100%臨床はめったにいないヤバい人だ   「今4年目でその条件は悪すぎるのでは」 「PhDが終わったらもっとアカデミックな大学に行った方がよい」 「グリーンカードが欲しければ日本に一時帰国して日本のネットワークを作ってからアカデミックな大学に戻ったほうがよさそう」  と素直に自分の考えを科長に共有してお...

Oビザ許可があっさりおりた件

前回は、OビザのExtraordinaryAbilitiyを持つことを支持する書類4-500枚程度印刷して弁護士事務所に郵送したところまで書いた。 弁護士事務所に届いて10日後くらいに弁護士から 「Premium Processingで申請したから15日以内に結果がわかる」 とメールで伝えられていた。 15日ビジネスデイ(休日を除いたカウント)かと思いきや 普通にちょうど2週間目に、雇い主の大学から「USCISのサイト本日確認したら許可されてましたよ!」 とメールが来ていた。 (娘が肺炎になって看病していたので)2日後くらいに弁護士に いつ大使館でビザの面接予約ができるか聞いたところ 許可証みたいな書類をスキャンして送ってくれた。 これでもうアメリカ大使館でビザ面接の予約ができるらしい。  準備を始めるために弁護士と電話相談したのが1月下旬 書類の準備を始めたのが2月上旬  推薦状もろもろすべてそろえたのが3月末 (しかし推薦状が最も時間がかかると友人・先輩に聞いて、1月下旬の時点ですでにレター候補の人たち全員に連絡をとって許可をもらっていたので、通常もう少しかかるはず) ほかにも弁護士と雇い主側がそろえるべき書類もあるようで、これがどのように進められたのかは自分には一切不明 弁護士が自分の4-500枚の書類を確認し、GOサインをだして、すべての書類をまとめて申請したのが4月中旬 なので、自分の準備で2か月弱、すべての工程で大体3か月ちょいかかったことになる 大使館の面接の方法をすっかり忘れてしまったので、今になってOビザの経験談が書いてあるブログをみてみると 「お金がないから弁護士なしで準備しています」とか書いている人がいたが そんなリスキーなことはお勧めできない!  自分はすべての費用を雇い主が出してくれているので ラッキーだったとしか言えないが 初めから「弁護士費用は自分で払いますから」というスタンスを明確にして 就活をしていたように 弁護士は通した方がよさそう

ビザ申請準備完了?

2月頭に次の職の契約書にサインし Oビザの申請準備に取り掛かった 経験者からどんなに急いでも2ヶ月かかると言われていたが 3月末にようやくすべての書類を弁護士に郵送したので 確かに2ヶ月かかった 契約書を待たずに大学の契約している弁護士とは 連絡を取り始めていたのだが 弁護士からの返事が1週間こなかったりすることも ざらにあり 弁護士にプッシュすれば 1ー2週間ほど早かっただろうという気はする ニューヨークでは言わないとすぐに忘れられるため 何でもフォローアップを小まめにやり Expectationを明確にすることを学んだが ミルウォーキーに来てから 細かいフォローアップやExpectationを明確にするのを 嫌われることが多く むしろ自分がスローダウンして相手に合わせるように シフトしたため 我慢強くはなったが ニューヨークの人と働くときは 時間を無駄にすることが多くなった 今回のOビザの手順を書き出すと ①まず弁護士と電話面談で、用意する書類についての説明。色々なサンプルもメールで送ってもらった。契約は口約束程度の段階だったので、とりあえず集められるものから集めておくように指示があった ②契約書にサインしてから、サンプル(自分の場合はホスピタリストの過去の例)の履歴書を参考に、自分のありとあらゆる過去の研究や仕事の詳細を書いた履歴書といくつかの研究の詳細をわかりやすく説明した文書を作成して弁護士にメールで送った。 履歴書はいつも2、3枚に収まるように、大したことのない仕事・業績・プレゼンなどは省くようにしていたが、20ページ以上が目安と言われていたので、レジデントの時にやった、Grand roundの発表や、病院レベルのリサーチ発表会でのポスター発表なども追加した。それでも18ページにしかならなかったが。 ③弁護士とそのアシスタントが履歴書と研究内容をもとに、推薦状の案を5枚書いてくれた。2枚はこれまで働いたことのある病院の人から、3枚は「External review」として当てられたもので、自分と直接働いたことのない、同じ分野の成功者から案をもとに推薦状を書いてもらって欲しいとのことだった。 この推薦状をもらうまでに時間がかかり、1ヶ月以上かかった。...

しがらみだらけのアメリカ就職事情

生活、キャリア、研究全てにおいてよきメンターとなってくれている フェローシップのディレクターには 「就活が終わらんと他のことに集中もできない」 「アメリカの大学病院からオファーがなかったら、アメリカの地域病院ではなくて日本の教育病院を探す」 と進路について包み隠さず相談していた 話が進んでもビザの件でことごとく話が流れていく状況を見かねた彼から 「自分のレジデンシーの時の後輩が〇〇大学のディレクターをしているから、O1ビザで雇ってくれないかメールしといた」 と突然言われた。 そもそもその大学病院にはリクルート担当の(多分)事務の人に1ー2ヶ月ほど前にメールしており、O1云々以前に、「Jだからだめ」と冷たくあしらわれていた。 しかし、ディレクターがメールをして数日後には その知り合いの先生から 「僕がリクルート委員会の代表者だから、弁護士に聞いて見たらO1大丈夫そう、その情報で持ってリクルート委員会で話し合って、インタビューの許可おりたよ」 と返事が返ってきた。 レジデンシーの応募の時もそうだが 内部に知り合いがいたり、事前に実習に行ってお偉いさんとパイプができていると ビザやテストの点数云々問わずに採用されるのは (人脈を作るのも大事な能力という意味だが) 実際の就職でも同じのようだ

電話面接パート3

とある大学病院のホスピタリスト科の科長さんから 電話しようと提案あり電話したところ 話をした後、最後に質問はあるか?と聞かれたので メールに明記しておいた ビザの状況について話したところ 前例はあってもここ最近はずっとビザをサポートしていないから難しい と180度方向転換して突然の断り 事務の人にもあれだけビザのことを伝えておいてほしいと頼んで 実際自分の最初のメールを転送してもらったにもかかわらず 短いメールすらちゃんと読んでなかったのがバレバレ こういうことが決して起こらないように あえて不利になるビザの情報を明記しているのにだ 今の大学病院で進めているQIのプロジェクトも まともに要求されているデータを引き出す能力のある人がいなさすぎて 話が堂々巡り。同じ議論を何ヶ月続ければいいのだ? さすがに萎えた

電話面接の結果…

まず一つ目の電話。 メールで招待が送られてきたとき、自動的に時差補正がされていたらしく、まさか1時間早く電話しまう 気を取り直して1時間後に再度電話 その病院の内科プログラムディレクターと話しをする場だったが 自分がやりたいことなども含めサポーティブだった もちろんやる気だけあって実力を伴わないパターンだろうが まずは刷り込む。それがとても大事なのだ このステップを経ておくことで 後で自分が何かをやろうとして説得に行ったとき このプログラムディレクターはYESという確率が上がる こうやって今学んでいることを即実践できるのは嬉しい そして次の電話。 事務方の責任者とだったので、怪しいなぁと思っていたがやはりそう。 向こうがアカデミックなことを続けたいという 志望動機書の強い意志表示をみて 果たして自分がそこにいってやりたいことができるかが心配だったらしい。 アイビーリーグの大学病院でありながら ウェイバーも申請可能だというからおかしいと思ったのだ そこのホスピタリストは月ー金勤務で 研修医や学生と働くこともめったになく 忙しい中、大学での講義などをやっていかないかぎり 大学からのランクももらえない 肝心の雇う側も ホスピタリストには純粋に臨床業務をやることを望んでおり QIも研究もやっている人はほとんどいないらしい これが月ー金勤務でなくて7日オンオフだったら アイビーリーグの誘惑から、その条件でもよかったが そのオプションもないとのことだった せめて授業料のサポートは? 大学のリソースは使えるのか? 聞いてみたが雇用条件・ベネフィットもすべて違うようだった お互いやっぱり合わないかもね、という意見で一致し 今後もお互い職・職員が見つけられないときは また連絡を取り続けましょう という感じで終わった。 有名大学病院本院でもウェイバーができるというのはよいことではあるが 必ずしもやりたいことができるとは限らないらしい

電話予備面接…職探しにおける交渉はどうしたらいいのか

東海岸の大学と大学関連病院の2箇所からビザを考慮した上で興味を持ってもらい 明日面接とは関係なく電話で話すことになっているが 1箇所は自分がやりたいことが出来るかどうか、何が出来るかの相談 もう1箇所は、事務の人との事前面談(ビザのことやら聞きたいのだろう、これはあまり期待しない方が良い) 自分としては病院に行って雰囲気を見て、科内のリーダー達と話し合うまでは そもそもそこに行きたいかも分からないので 果たして何を聞けばいいのか悩みどころ。 ここでうまくやれば、有利な条件を引き出せるのかもしれないが 電話面談の時点でいつものように(給料以外のことを)根掘り葉掘り聞いて 果たして利益はあるのだろうか? そして自分のビジネスピッチは散々やってきたので 「なにをやっているか」や「なにをやりたいか」については だいたい対応できるだろう という態度なので、明日の電話面談はモチベーションもなければ準備もしていない。 最低限、ネガティブな方向に話がいかないことを願う…😭 最近になって、これまで反応のなかったイリノイの大学やマンハッタンの大学から連絡があったり、どうも来年採用者のためのリクルートの時期になってきたかららしい。 難しいのは、今進んでいる面接でウェイバー付きでオファーが出た場合、相当悩ましい状況になる。 オファーをすぐに受け入れず、他の大学からのオファーが来なかった場合、最悪ウェイバーを一年遅らせるか破談になる可能性あり。 ウェイバー優先でオファーを取れば、O1で一流大学で働いた方が良かったのではないかという心配をしばらく抱えることになる(ウェイバーで3年経てばビザから解放されて自分の市場価値が上がるのは確実だが、在米期間がそのぶん長くなる可能性が高い)。 フェローシップの時はビザのせいで悩むことすら許されなかったので そうなったらなったでだいぶ贅沢な話なのだが

J1という烙印

風邪をひいてしまい非生産的な1週間を過ごしてしまった😰 20代の頃は、風邪なんて1日休養すれば結構良くなったのに 今では体のだるさが相当尾を引いてしまう Oビザでの就職活動を開始し、求人が出ているところを中心にメールでコンタクトしたが 履歴書に「Jビザ」という文字が書いてあるだけという理由で 事務の人から「うちはJビザをサポートしません」 という連絡が数件きた。 しかも、メールの本文に、「Oビザで雇ってほしいのですが、ぜひ検討ください」 と明記しているにもかかわらず。 大きな大学病院にしか連絡していないが それでもホスピタリスト科でOビザに慣れているところが少ないのだ。 今通っている大学院と同じ大学の科のトップの人が興味を持ってくれて Oビザで雇えるか大学のビザの部署に問い合わせてくれたが Oビザの問い合わせをしているにも関わらず 「Jビザだからだめだ」 と返答があった。 どうも、Jビザ=ウェイバーが必要、という間違った固定観念があるようだ。 しかも多くの場合、事務方の判断ではじかれてしまうのが辛い。履歴書と志望動機署をトップの人が読んでくれるとおおむね好意的なのだが、事務がかかわったとたん話が終わる。 Jビザは悪でしかないようだ。 あとは大学によっては大学独自の厳しいOビザの基準を設けているところもあり それではじかれる場合もあり 逆にOビザに慣れていそうなところは、すんなり話を通してくれる。 ハーバード関連病院は「日勤は埋まったけど夜勤なら考慮しますよ」とあっさり ニュージャージーにある大学も「ウェイバーでないならありますよ」 東海岸が単にビザになれているからなのか? 職探しはもうしばらくかかりそうだ。

ウェイバーポジションはあるにはあるが…

J1ウェイバー可能か十数か所に問い合わせた結果 大学の場合は人が圧倒的に足りない夜勤専属医か そのほか市中病院は、人が圧倒的に立りない田舎の病院の職か しかオファーは引き出せず ウェイバーは諦めることにした 自分で問い合わせてもオファーはあるにはあるし 熱心に誘ってくれるところもあった (ただし系列の小さな関連病院のポジション) 有名大学病院で、ウェイバー可能か熱心に調べてくれるところもあった (少なくとも問い合わせたところは申請不可だった) 田舎の大学病院では、夜勤なら、というオファーもあったが どうしても最低3年間、その病院の言うままに働くことになるので 夜勤専属医3年など、考えただけでもぞっとする😱 ビザ持ちの同僚も多いが 大方の認識は 3年間誰も働きたがらない場所でこき使われる というもので、オファーされたポジションはまさにそんなものばかりだった 今後は、O1で雇ってくれるところを探すほかないが また一からやりなおし😱

就活 ウェイバーの職を探す旅 早くも終了?

本日も夜勤中👷 普段は話さない美人ナースプラクティテョナー達に ナースからくる止むことのないページャー📟を見ながらエキサイト(楽しんでいる)してるわね などどいじられる始末😓 確かに、3回に1回はフフッと笑っている気はするが (ページの内容を見せたらバカらしくて彼女達もふいたがね😒) ともわれ、今日も周囲に同情されながら 忙しい仕事を、機械的に光の速さでこなしていく 今日は、入院とり続ける担当だと勘違いし 夜は少し寝れそうとふんで 朝からひたすら学会のホームページで職を検索して 履歴書とカバーレターを送り続けていた💦 職探しについては、終わってからまとめて書いた方がスマートな気もするが 詳細はすぐに忘れるだろうから逐一記録💨 辛かったフェローシップ探しもやはり詳細に記録してある方が 後で振り返った時に 「こんなことまで書いちゃって、こいつあほだな😑」と思えて 面白いのである👽 フフフ とりあえず申し込んだのは ①ホスピタリストを募集していて さらにHRSA - find shortage areas by addressのサイトで ②病院の位置的にHPSAもしくはMUAに該当している (しかしセントルイスのワシントン大学のように、該当しているように見えても、実は隣接する隣のカウンティ所属だったりしてダメなこともある。ようはGoogleで調べた住所が必ずしも正しいとは限らないという落とし穴あり) ③応募条件にビザNGと明記されていない ④大学病院か、レジデンシープログラムを持つメディカルセンター という厳しい条件でスクリーニングしたが 7−8件は問い合わせのメールを送ることができた (想像以上の数) まだ2−3件は、Maine州が嫌だとか、条件は満たすけど中規模くらいの病院で悩ましいとかいう理由でメールすら送らなかったので 全てに手を出せば10件は軽く超えるだろう 「ウェイバー可能な場合あり❗️」と明記していた ミネアポリスの大きな病院からは 速攻でリクルート部門の人から返信があり メインの病院のポジションは埋まったらしく サテライトの小さな病院なら空いていると😱 それはあり得ない選択肢だが 履歴書やカバーレターに...

日曜も通常運行(勤務)サンジェーに久々に会う

昨日今日(土日)と日勤に入っている 曜日や休みという概念がないことには随分前から何も感じなくなった 疲弊したら平日のミーティングやらが少ない時を見計らってぐったり休むなり出かける 昨日はちょっと親切に仕事をしすぎて、1時間ほど帰るのが遅くなってしまったが そのおかげで夜勤のアルバイトに入っていたサンジェーと会えた。 来年どうするの?と聞いてくれてウェイバーの話に 彼の友達の複数がウェイバーをやっているらしく 彼がレジデンシーをやったシカゴの病院は専門科でも普通に許可が降りるらしい。 場所はクックカウンティーのすぐそばでシカゴ市内 実際そこのプライマリケアでウェイバー中の友人に電話をかけて 給料まで聞いてくれた(今の大学に毛が生えたくらいだったがシカゴ市内の相場からは十分高いだろう)。 逆に、シカゴ大学は呼ばれても行くな、と忠告された。 彼のレジデンシーの時の友人がシカゴ大学のホスピタリスト科でウェイバーを前提に雇われたが、3年間働いてウェイバーの許可は結局降りず 結局アイオワの田舎に行ってウェイバーをしているということだった。 新しいフェローも日中いたので、彼のいたミズーリ大学のことも聞けて 就活に関して有意義な1日だった。

ウェイバーできる職を探す旅

職場から奴隷並みの(言い過ぎだが、不満が爆発中😡)の扱いを受けている、と感じざるを得ない今日この頃 ただ、次の職探しを始めるにはちょうどいいのかもしれない ということで、近場からリストを潰していくことに まずこの大学と提携しているVA。 VAの総合内科長に直接連絡し、事務の人にVAウェイバーの可能性を聞いてもらう。 即答で、「Nearly impossible」 まぁ順当。正直、VAは確証がとにかく持てないのでやはり避けよう。 次は、フェローシップで面接した病院とその関連病院。 ボスのメールをその時ゲットしているので直接連絡。 1つは病院の方針でウェイバーは一切受け付けてないと。 1つは、ウェイバーは最近特に難しくなっているから、ウェイバー取れなかった時に申し訳ない・3年の契約書はかけない、云々。ごめんと 2つは返事待ちだが、スルーの可能性も高い。 来週以降は、少し網を広げて、縁もゆかりもない大学病院を当たってみる。 さて、どの州を中心に狙うか、が自分の中で問題だが、 とあるサイトが、どの州が毎年ウェイバーの30ポジションを全て使っているか(競争率が高い)、どの州が毎年30のポジションを使い切っていないか(明らかに人気がない)、をまとめてくれており それを参考にすると、ウィスコンシンは人気がない方に入っている。やはり、最後の頼みはウィスコンシン。 近場で、最も注目しているイリノイはやはり競争率が高い方に入っている。シカゴはやはり厳しそうだ。 ハワイも人気がない方に入っているが、正直遠い。本土の学会に参加するときとか大変そう。

違う同僚からウェイバーに関する情報を聞けた

半年くらい前にここで働き始めた同僚と話していたら 来年どうするの?と聞かれ、 ウェイバーできるポジションをまず探すかなぁ、と話したところ、 うちの妻もウェイバー探したんだけど ダメだったんだよねぇ という話でプチ盛り上がった。 彼の妻は専門領域のフェローシップをJ1でやって 去年就活を始めたが 面接した全ての病院から ウェイバーはできない、もしくはその州のウェイバーの年30のポジションは全てに埋まった と宣告されたためO1でここにきたらしい なんでもテキサス州は申請開始の九月のDay1でない限り 速攻で30ポジションが埋まり難しかった模様。 後1ヶ月半以内にジョブオファーまで…こりゃ自分もやばいな、と思いつつ J1は皆大変なのだと思った。

J1ウェイバーは難しいのか

最近ウィスコンシン州でJ1ウェイバーをして今はグリーンカードで働いている同僚に会うことが多かったので、会うたびにウェイバーのアドバイスを聞いていた。 聞くたびに新しいことを学べているので、やっぱり難しいと思う反面、 この同僚がやったアプローチでやれば住みたい地域で見つかるものらしい ホスピタリストの最も良いことの一つは、フルタイムでも通常1ヶ月14−15日くらい働けばオッケーなことであろうか 特にウェイバーで地方の市中病院で働く場合、ミーティングの数などもほぼないだろうから、患者を診ない日は自由になるようだ。 彼の場合、ウィスコンシン州の田舎で3年働いて、1ヶ月の8日間くらい病院の近くの家に滞在、そのほかは、奥様の住んでいたマディソンで過ごしていたと。 夜勤がそこまで忙しくなく、夜勤も1勤務でカウントされたので、24時間勤務を織り合わすと8日間くらいの滞在ですんだらしい。 さらにウェイバー中に、ミネアポリスのミネソタ大学のVisitingファカルティーとして在籍し、余った時間で研究もはかどったとのこと。 ウェイバーが終わる頃には、論文も十分に出せ、次のポジションを探すときは大学病院も含め入れ食いだったそうだ。 一旦日本に帰るのも悪くないが、臨床以外に費やす時間が取れなくなるのは確かに痛い 大学病院やVAでのウェイバーが頓挫すれば、それも悪くないなと思わせる説得力 経験者の話が聞けると言うのは素晴らしい👏 また、彼は都会にあるウェイバー可能な病院も勧めてくるので色々調べていたが シカゴの治安の悪い地域は大体ウェイバーの権利はあるようで驚いた そしてその治安の悪いところに有名大学病院がずらり シカゴ大学、イリノイ大学、ラッシュ大学/クックカウンティー イリノイのConrad30の毎年の応募状況についてはちょっと検索したくらいではわからなかったが 同僚曰く、州の管轄の部署に直接電話かメールして聞く のが鉄則だと言われた。 彼も、ミネソタ州かウィスコンシン州でのウェイバーが第一選択だったため、 1 HPSAかMUAかを検索できるサイトでウェイバー可能病院か検索 2 その病院がホスピタリストを募集しているか検索・問い合わせ 3 もし募集していると分かれば、州の担当部署に電話・メール ...

就活が、、、モチベーションが、、、トレーニング終了後のビザについて

フェローシップは後1年残っているものの ECFMGがスポンサーしているJビザ(交換留学生用ビザ)で働いているので トレーニング終了後の進路についてそろそろ準備しなくてはいけない時期になった Jビザで働いてしまうと、自国での2年ルールが発生し トレーニングを終了したら自分の国で最低2年間働くこと、が義務付けられている よって選択肢は限られていて 1 日本で就職(2年以上経てば米国にH1ビザで戻ってこれる) 2 アメリカの大学病院でO1ビザで就職(2年ルールは消えない) 3 アメリカの医師不足か貧困地域でH1ビザで就職(J1ウェイバー) 去年は2のO1ビザを考えていたが、毎年お金を払って更新しなければいけないとかなんとか、Oのままでウェイバーしなければ一生グリーンカードも申請できないので、ビザの問題はずっと付きまとう。なのでO1ビザのままずっといるのはありえないなと考えるようになった。 1はいずれ日本で働くのが最終目標であるし、2年経てばすんなり戻ってこれるので、全く悪くない選択肢だが、1は今も昔もプランB。 まだ学ぶことが多いと感じるので、まずは2か3を先に検討してからダメだった時にゆっくり1を検討することにしている。 日本での就活は下手をすれば1ヶ月もいらないので、時期的にもそれでうまくいくのである。 最近はまず3のウェイバーをまず検討して、ダメならウェイバーの可能な病院で2のOビザを検討する、流れにしようと考えている。 ウェイバー可能な病院は、医師不足地域(HPSA)か医療過疎地域(MUA)にある病院で、州ごとに年間30のスポットが与えられている(Conrad30プログラム)。 ウェイバーする医師は、地域の医師のニーズによってウェイバーが可能となるわけで、基本は臨床に従事することが求められる(最低週40時間)。 これをどう使うかは州の自由で、30全て使わなくても良いことになっている。通常はプライマリケアやど田舎が優先されるようで、ホスピタリストは残念ながら非プライマリケアになるようだ。 有名大学病院でも立地によってHPSAやMUAに分類されることがあるので狙い目だが、ポジションがあってもアメリカ人医師のリクルートに失敗した旨を証明しなくてはいけなかったりと、アメリカ人ファーストが原則なので簡単ではなさそ...

東京へビザ面接へ

J1ビザを2年ぶりに更新するため東京のアメリカ大使館へ。 前回子供がまだ生後半年程度で連れて行っても抵抗はなかったが、今回は2歳と(アメリカで生まれたのでビザ不要)大きくなったので、入り口で預けてこい、と拒否されないか心配していた。 特に怒られるどころか、子供がいるから優先すると言われ、初めの列は飛ばして入ることが許された。その後の長蛇の列には並び、1時間ほどで面接まで終えた。 写真は自分のカメラでいい感じにとって、アメリカのCVSで6x6インチで印刷しておいたので(証明写真が2x2インチなので、パワポで撮った写真を3枚x3枚並べて印刷した。本来12ドル近くかかる証明写真が2ドル程度で印刷できた)自信があったが、妻は歯が見えているから撮り直し!と判断され、1000円無駄にしてしまった。

ビザについてのメモ

自分はJビザで渡米したが、ビザの選択の重要性はフェローシップの応募まで気づいていなかった。 渡米前後は、 一般的に、より良いフェローシップに行きたいのであればJが有利。 競争率の高い専門科だと、Hではフェローシップのハードルが高くなる。 と言う情報だけ得ており、医学教育系のフェローシップを目標にしていた自分は迷わずJにした。 Clinical J visaはECFMGが全て一括してスポンサーしている。なので病院やプログラム側は、TPLという部署が必要書類を提出するだけ。 Hビザや専門職で働くためのビザなので、スポンサーは各病院・プログラム。なので、Hビザを提供するかどうかは各病院による。 現在の流れとしては、レジデンシーでHビザを提供するプログラムは年々減少傾向のよう。フェローシップで面接したホプキンスベイビューも最近Hを廃止したと言っていた。フェローシップに関してはさらに顕著。Hビザというだけで極端に面接に呼ばれる数が減るというのはよく知られた話。 ちなみにJからHには自由に変えられないが HからJは変えられる 2014-5年あたりから、一度clinical Jをとって、他のビザに変えた人は、clinical Jに再度変更し戻すことはできないとなった。ビザをコロコロ変更することで米国に長く滞在しようとする人への対処らしい。 米国にはビザ持ちの医学生が普通にいるので(生まれは海外、親と共に途中で移住した人)、その人たちは米国医学校卒業にもかかわらずHビザが必須になる。どんなに優秀であっても、Hビザを認めているプログラムにしか行けないという残念な話を聞いたことがある。 Hが取りにくい、という噂について。確かに3月のマッチデーから申請を始めると時間的にはギリギリだが、Jも正直ギリギリまでかかってやきもきした。ポジションのオファーがあればあとは書類作業をやるだけで、後述のOビザなどに比べれば何が取りにくいのかはよくわからない。 多くの大学病院はビザの専門家・ビザ担当部署を配置し、弁護士とも繋がっている。少なくとも僕が面接した大学病院はHビザは最も簡単なビザ、と位置付けていた。 上述の米国医学校卒業性だけど外国人の他にもHビザにすべき場合がある。 専門医の資格(board)のないフェローシップを考える人。Boa...

ビザのその後

無事に7月1日からフェローシップを開始できたが、直前まで色々とあった。近年Jビザは本当に制限が大きくなってきており厄介。 採用が決まって以降プログラム側は、ECFMGにプログラムの詳細やカリキュラムを送り、事前に調整して、2月に採用決定の連絡を頂いて2ヶ月以上経った4月末にようやく仕事の詳細にまで言及した契約書をいただいた。 それを元に急いで政府保証書や他のビザの必要書類を集めて、5月の中旬にようやく全ての書類をアップロード。アドバイザーが書類に目を通すのに2週間ほどかかり、最終的なビザの決定には6−8週間かかると言われたので、6月末にギリギリ間に合うとほっと胸をなでおろした。 2週間近く経ってECFMGからの反応は、契約書、カリキュラム、自分の書いたフェローシップの目標に不備あり、再提出が必要との判断。すでに6月になろうとしていた。 契約書やカリキュラムにAttendingとして働くと書いてあるのが気に入らないらしく、フェローは間接的に指導教育するアテンディングがついた状態で働くので、そこはプログラム側も柔軟に対応して直してくれた。 6月中旬には2回目の書類提出を終えたものの、さらに小さな修正を求められ、またもプログラム側に迅速に対応してもらった。 そしてビザが未発行のままミルウォーキーに引っ越しとなった。アパートの契約、車の契約も早々に済ませ、これで7月帰国になったら、経済的にも危機的な状況となる。 6月下旬、ECFMGからビザ発行した旨のメールが届き、2月以降から続いたビザのストレスからやっと解放されたと安心していた。 そしてその翌日、プログラムディレクターから、ECFMGから突如待ったがかかったとの連絡があったのだった。 最悪の結末を迎えるのか。覚悟を決めて詳細を聞くと、最後の最後に目を通した人(審査をしたアドバイザーと同じ人かは知らない)がこれじゃダメだと言ったらしい。いくら監督されていても、指導医の仕事をしてはダメだと。プログラム側もこれまでECFMGの指示通り修正してきた4ヶ月は一体何だったんだ?と呆れ果てていた。 この時すでに6月26日くらいだったと記憶している。もうどうしようもないので、プログラム側も、ECFMGの言う通りに仕事内容を1日で変更してくれ、無事に27日に(2...