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JEDIプロジェクト始動

半年以上前のことだったが科長にDEI(Diversity, Equity,&Inclusion)のディレクターのポジションを作って大体的にDEIに取り組むべきだと進言した 科長は大賛成し内科部長からも早々に許可をとったと報告を受けた それから10月ころだったか、何と内科部全体のDEIを統括するVice Chairのポジションの公募があった アイデアを盗られただけで終わった… とがっかりし、とりあえず科長には話が違うと文句だけいって諦めた 科長も内科全体のポジションのことは聞いていなかったというので 内科部長が勝手に動いたことは明白だった   11月すぎになり、今度は科内でDEIディレクターの応募があった  それには応募したものの、応募期限が過ぎても期限が延長され 「むむむ、僕にはポジションをやりたくないのか?」 と斜に構えていたが、忘れた頃にディレクター就任依頼がきた   ところが、11月の段階でJ1ウェイバーが通ったという報告を聞いていたので 今後3年間100%臨床でPhDも進めなきゃいけないのに DEIの活動する時間が捻出できるか分からないとのことで返事を保留(!)  そのとき「ほかにいい候補者がいたらその人を任命してくれて構わない」とまで言っておいた(!) 自分でお願いして作ってもらったポジションなのに拒否るという それくらいここ最近の自分は時間に追い詰められているのだ   ただ「興味のあるはずの人が2人ほどいたんだけど、フォローアップメールにも返事がないから、そういう人には任せたくない」とのことだった  「あ、他にお目当ての人がいたのね」 と応募期限延長の理由が分かってまたげんなりだったが とりあえず他にやりたい人もいないそうなので 失敗してもいいやという気持ちでディレクターになることに決めた    DEIはD&IやEDI、そしてJEDIと略されることもあり 個人的にはJEDIがイケてると思う JはJusticeのJ そして今学期も終了し、とうとうPhDの最小必要単位をすべてとり 次の春学期にはQualifying試験をパスしなければいけないらしい つまり、博士論文のテーマとメンター4人をあと1か月ほどで決めねばならない   年次総会ワークショップ2つと、科内のプレゼンが2つと大きな発表の準備が立て込んでいるので   効率をさらに上げていかないと立ち行かなく
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J1ウェイバーのメリット・デメリット

 今の大学病院に来て4年目  当時に比べ働きにくい職場になったかもしれない リサーチやQIのインフラが改善することもなく3年たったので 博士が終わった後の進路も含めてどうするか考えるようになった そしてちょうどそんな折、J1ウェイバーにアプライするか聞かれた 毎年6月末に病院・医学部のリーダー達がJ1ウェイバーの候補者のランキングを決めるのだが ウェイティングリストには就任時から入っていたものの 病院側としてはホスピタリストにJ1ウェイバーをさせる気すらないと 過去2年はランキング対象外にされたと 3年たちO1の更新の年になったので、流石に科長とビザ担当者が   これだけの貢献をしているのだから彼を残すべきだ  と自分のパフォーマンスデータなどを提出し説得して ようやく、8番目にランクされたと聞いた(はっきり言わなかったが多分一番最後だろう) すでに一人下りた人がいるとのことで 7番目、しかもフレックスでないといけない フレックスが必要な人の中では3番目だと   毎年J1ウェイバーは6スポットくらいもらえているらしく 運のいい年で8スポット フレックスはよくてその中の2スポットくらい つまり可能性は薄いとビザ担当者から聞かされた   そのうえでアプライするかどうか聞かれたわけであるが いつ辞めるか考えているこっちとしては 「は?遅すぎる上に失礼極まりない」 という感じなのだが、とりあえず条件次第なので ウェイバーするとして週40時間臨床ルールはどうなるのか聞いてみた 100%臨床で働いてやっと週42時間の計算なので 2時間X50週としても100時間程度しか臨床から解放されない グラントやディレクターのポジションを取ったところで 臨床をほぼ100%しながら臨床以外の役割をこなさなければいけないということだ ここが超一流の大学病院なら就任7年で臨床100%でも文句は言わないが ここで7年たって100%臨床はめったにいないヤバい人だ   「今4年目でその条件は悪すぎるのでは」 「PhDが終わったらもっとアカデミックな大学に行った方がよい」 「グリーンカードが欲しければ日本に一時帰国して日本のネットワークを作ってからアカデミックな大学に戻ったほうがよさそう」  と素直に自分の考えを科長に共有しておいた   色々相談した結果、まだPhDは1.5から2年ほどかかりそうだし、引っ

社畜と僕の違い(共通点は午前1時に活動していること)

 午前1時 パソコンに向かって作業をし続けている 昨日は夜勤空けからそのまま寝ずに朝8時にズーム会議 午後1時半からまたズーム会議 その後脳が機能停止し、ごはんを食べたりした以外に何をしたか覚えていないが 今日の朝、意識が正常に戻った 今日は朝と昼に子供の学校への送迎 朝と昼の間はたった一日で溜まった仕事のメールの処理  午後になったら病院へ出勤し 書類のことで事務の人と相談 午後3時から5時まで医学部の委員会の会議 午後5時から6時近くまで電話でホスピタリスト候補者の事前面談 (スクリーニングと呼んでいる)  そこから午後7時半くらいまで残って 小さな仕事を終わらせてから帰宅 ご飯を食べて子供が寝たらもう10時 そして ここからが自分の時間 Population healthのコースの読書と課題を一気に終わらせたら午前1時 Behavioral sciences部の教授たちを紹介してもらい今度会うので履歴書を事前に送ってほしいと ただ最近アップデートしたO1用の履歴書は30ページ近くに上るので流石に使えない ここから自分の履歴書をひたすらコンパクトにする作業をつづけ   そこから明日の午後からあるIntro to measurementの授業のためのリーディングをこなす そしてあと一つのChoice analysisのコースの読書と課題を木曜中に終わらせたい そうしないとずっと待たせている学会のリサーチ委員会の論文ともうひとつの仕事が終わらない それを金曜日にやりたい そしたら週末に何か月も先延ばしている論文をただ再提出するだけという作業ができるかもしれない  でもちなみに7月上旬以降週末に休みがとれていない気がする 7月は色々あったし 8月は病棟の週は土日も勤務ー> 自宅待機の週にも誰かのカバーで土日に準夜勤務ー> 病棟の週で土日勤務ー> その次の週は土日月で夜勤をぶちこまれているー> そして今にいたる(もう9月やん)   正直優先順位が自分事>国内学会の仕事という時点で破綻しているのかもしれないが そうしたくて自分で選択してやっているから やめられないのだ アメリカにいる間は一日一日貴重だと思って過ごすようにしているから 気づけば色々な事を学んでいて 楽しい

やる気を出す方法について考えてみた結果

 2021年秋学期が始まってしまった。 大学院のコースを2つと、追加でInstitute for Statistics Educationのオンラインの4週間のコースを9月と10月に一つずつ登録しているため  10月末までは実質3コースとっていることになる。  早速時間に追われる生活になり体力的に辛い。  やる気を出すだめに経営者ユーチューバーの動画を合間合間に見ていたら 内なるやる気を刺激され、 「そうだ、今からでも遅くない」的な 気持ちになってくる。 ということで、やる気維持のため、低頻度でブログを再開しようかと思ったのだが、  流石に自分の部署の愚痴を書きすぎてきたので、 愚痴日記は少しずつ非公開にしていこうと思う。  

半年のざっくり振り返り

 早くも7月。アメリカでは7月1日からが新しい年度(日本でいう4月1日)。   日記をあえてつけなくなってだいぶ経つが理由は大体以下の通り  忙しさが増して日記に時間を割くのが惜しい  有益なことよりは自分の中でもやもやしたことを書くので、一般公開では危険すぎる(英語翻訳機能を使えば普通にばれる)  冬の間はとにかく忙しく感じていた。 新型コロナの入院患者数が劇的に減ったものの、コロナ以外の通常の患者が増え、忙しい週が多かった。 基本病棟で働いている週は、12時間ずっと仕事。合間を見つけて何か他のことを進めるということができず、しわよせは全部病棟業務がない週に来ていた。  忙しいにも関わらず自分の科のリーダー達のサポート的なものはなかった。忙しいのが普通であってほしいような態度だった。 それで去年の新型コロナ対応から続いているQOL低下は、以前の状態まで改善することはなく、不信感と不満だけが残る結果となった。 ある週、激務の中、たった一人で大量の重症者を我ながらちゃんとケアできていた 普段は悪化するとICUに送るのだが、ICUを希望されない方が複数続いてたった5日ほどで3人ほど亡くなった 一人で14人の複雑な患者を相手にしているので、裏を返すと、毎日夜8時半とかにノート記載が終わるような状態だったが(アメリカでこれは異常) 科のリーダーの一人に、「こういう週もたまにあるんだよな、たまたま運がなかっただけだから、頑張れよ」と声をかけられた うちの科のリーダーは忙しい病棟を全然やらない人たちなので 忙しい週がずっと続いている時にたまたまとかいわれて 心外でしかなかった 新型コロナで看護師もかなりやめ、病棟で知らない人が増えた。 ベテランが抜けた穴はでかく看護師との連携の質も下がった。 新型コロナの後遺症のごとく、いろいろなことが以前のようには戻らないことを痛感した半年だった。 そして、4月と6月にまた匿名の告発状が科よりも上の部署に送り付けられたらしい。 去年の秋過ぎに同じ問題があったとき、大学内の部署の人が、10数人にインタビューを行い、とくに何の問題もみつからなかったと(阿呆な)結論づけをしていたので 今回上層部は「匿名じゃ詳細が分からず何も対処してあげられないから直接連絡してくれ」という態度を明確にしている ただ普通に考えて、こういった告発状を書いている人はおそら

2021年仕事はじめ どうやったらコラボレーターとテイカーを見分けられるのか

  12月31日から1月2日まで休むと決めて、3日間連続で焼き鳥→牛肉→ラム肉を庭で焼き、おせちも食べ、テレビとビールをお供に正月を過ごしたところ只々気分が悪くなった私は阿呆です。 2021年は1月3日(今日)から仕事はじめ(のつもり)です。2020年は何だかんだ色んな事をやって自分でも驚いている。 やればやるほど、もっとやりたいことやできることが出てくるので、優先順位をつけて何を諦めるのかを見極める必要が出てきた。 何をするにしてもコラボするように努めているが、(上司に相談した結果)コラボではなくテイクばかりしていく人から距離を置くことにした。 そういう人に限って友人だったりするので難しい。  年末に「あの論文どうなった?」ってTaker代表格の人に聞かれたから 私「4-5か月前に、4週間以内にイントロ部分しっかりしたやつ書いてね、貢献なしではこの研究には入れんよ、って言ったよね?で、今もう12月やで」 とバッサリきっておいた それでもひかずに「いやまだ解析途中だとかいってたやん」とか言ってきたから 私「いや、イントロと解析関係ないうえに、解析はほぼ終わって結果もシェアしたうえでお願いした」 ときっぱりいったが 同僚 「いやいやメールを確認するわ」  とか言ってきたので流石に幻滅してついつい 私「第一、人の研究に混ぜてほしいって自分から言ってきたら、それくらい興味があって参加してきたんだったら、自分の仕事より優先してやるよね?自分だったら優先してやるよ?それにも関わらず4-5か月たって何もやってないて、正直もう待てないし、手伝わんでいいよ」 とまで言い放った そもそも付き合いたくもない相手だが、距離のおき方に気をつけないと、絶対悪い噂を立てられ他の人からも敬遠される なので今回の断り方はだいぶ失敗した  大した理由もないのにしつこかったから、条件反射だった やらねばならぬことだったので、目的は達成されたのだが 今年も大学院のコースを2つ/学期ずつとり、院内、地方、全国での発表が1月から6月に立て続けにあるので、忙しくなること間違いなし。 2年以上同僚のプロジェクトや抄録をひたすら優先して助けてきたにも関わらず これっぽっちの成果しか上げなかったうえに おんぶにだっこで何も学んでこなかった 「彼ら」にはもうかまってられないのだ 未だに、コラボレーターのうまい見分け方

米国大学院(修士)の卒論を完成させた話

 9月に入ってから、全ての状況が変わった   多分そんなに変わっていないんだろうが、そう感じるほどに新型コロナは、コロナ病棟だけではなく病院での診療全体と私生活に影響を及ぼしている  子供が常に家にいるとか、今でも冗談(Joke)としか思えない   誰か(子持ちの女性医師)がツイッターで つぶやいてばずってたが 「なんでレストランは空いていて、学校はしまっているのか?」 ほんとにそう。ここまで無責任にも見える行動をとる人が多い米国で、レストランやら空いてたら感染拡大は止められない。で、仕事や生活にもろに影響する子供の学校が休みなのは。。。ほんとしんどい   仕事も今まで以上のストレスがあり、家でも今まで以上に時間が取られ休めないのに 医療者は、精神と身体をすり減らし続ければよいのか?絶対に限界はくるし、自分も実際多くのことがどうでもよくなってきた(精神的な防衛機能) 今まで2年以上にわたり、「人のこと優先」でやってきたつもりだったが 諦める事にした   ちゃんとしたリサーチコラボレーション以外の 同僚の研究や抄録のお手伝いはもうしない 2年間、自分へのメリットはほぼないけど、同僚のしょっっぼい研究を自分の勉強や研究よりも優先してやってきたが それを通してあまりに学んでくれない、結局自分に全部やらせる形になる、そしてFirstとCorrespondingはとっていく 別にそれでもホスピタル・メディシンという領域と、ホスピタリスト科が発展に貢献すること そして将来的にもメンターシップに力を入れたいという気持ちでやってきた が 9月以降一気に余裕がなくなり もう自分のことだけで手いっぱい   ホスピタリスト学会はいつも同僚と10本くらいの抄録を出していたが、今年はゼロ。 研修医や学生に、地方会で発表したやつを提出するようお願いはしたが、多分2,3人しか提出していないかも。彼らももろに影響を受けていて大変なので責められない   残念ながら趣味で1年ほど続けてやっていたQIプロジェクトはストップさせた 協力してくれてる看護師さんに申し訳ない しかし、自分のことに集中することにしたおかげで   教育の修士(Master of Education)の論文と発表を無事終わらせた 発表2週間前になってプログラム責任者の家族に不幸があり連絡が取れなくなった時はさすがに  あぁ、また卒業

ホスピタリスト地方会での恐怖体験

つい先日ズームでのホスピタリスト学会地方会が行われた ここ2か月は医学校4年生二人と働く通称AIチームか、普通のティーチングチームとばかり働いていたので ついつい調子にのりそれらすべての学生とインターンに一枚ずつ症例報告の抄録を書いてもらい 計7枚の抄録を提出してアクセプトされていた 春に一緒に働いたレジデント3年生にも一つ米国内のデータベースを使ったリサーチプロジェクトを与えていたのと同僚がやったやつも含めて9つの発表があった (そのうちの8つは自分の履歴書のStudent advisingにいれるのでホクホク)   そのうちの一つはコビッド関連の自己免疫性脳炎の症例で インターンもとてもよい発表をして 最終選考にのこり、2度目の発表もこなして 「これは賞とれるな」 とふんでいたが 結果的にどの賞ももらえず… 結果自体に文句はないのだが 同僚が指導した2つの症例報告が2つとも賞をとったのをみて 憤慨   なぜか? その一つは、全体での一等賞を取った症例で心アミロイドーシスの症例だったから まぁぎりよしとしても もう一つは、自分のインターンが取り逃したレジデント部門で賞をとったのは Bacterascites、、、腹水穿刺を血培ボトルにいれたら菌がはえたよ、普通のスピッツのほうからは生えなかったよ、それで治療しなかったら発熱など腹膜炎の症状がもっと出てきたよ という症例 そんなん一般に知れ渡ってることを報告してるだけで なんで表彰されるん????   しかも その同僚は、うちの科で明らかに贔屓されている人で 僕らと同時に入職して2年の間に ありとあらゆる良いポジションをかっさらい 他の人にチャンスが全く巡ってこず 周りからの妬みは大きく その人は去年からすでにこの地方会のポスターセッションのChair(委員長)を任されている …って Conflict of interestバリバリやん  とその日はしばらく他の同僚にそのことを愚痴ったのであった   そして今行われている科内の機会の平等性に関する調査でも 同僚たちはこのこと(この人に対する明らかな贔屓)にもろに触れたらしい  別にポジションを取る分には、その人は悪くないのでいいのだが 今回の件は本人にその意図がないにしてもフェアではないので  今後、その人には自分から機会(主にプロジェクト)をもちかけることはないだろ

学生アドバイス・メンタリングも業績の一つ

以前准教授・教授への昇進基準に関するセッションに出席したとき とにかくやったこと全て記録していくことを強調していたが 残念ながら、科の中外で発表したり学生レクチャーする機会は一部の人だけが 何度も何度も同じことを繰り返すことで自分の業績とし 他の人と持ち回りにする気は一切ないらしく このままでは自分に機会が回ってくることはない セッションの中で、他に強調されていたのは 学生とプロジェクトをすることも大学は評価するらしく 学生や研修医のプロジェクトを手伝ったなら分かるように記載するように指導された 去年もすでに症例報告のポスターくらいなら4人を指導したし これがStudent advisingに含められるなら、周りとの差を埋められるかも と思い、今年からは厚かましくプロジェクトのメンタリング・指導することに そしてわずか3か月程度で 簡単なリサーチプロジェクトを研修医一人に提案、データを提供し 学生4人と一枚ずつ症例報告の抄録を書き 研修医3人と1枚ずつ症例報告の抄録を書いて ホスピタリスト学会の地方会に8枚すべて提出 採用されれば、履歴書のStudent advisingの項目が8こ増えるわけだ 流石に今回はやりすぎた感があるが 毎年3-5人指導を目標にやっていけば、1-2年後の昇進審査までには20人くらいは指導できるだろう

そして引っ越しへ。アメリカで家を買う

借家の契約が2年で終わるので 継続して借りる もっと安い他の家を借りる 家を買う の3択を迫られていた こんな田舎で月々2000ドル払っていたので 正直継続して借りるのは第一選択ではなかった(高杉です) ただもっと安い家を、と言っても、一軒家だと月々1800くらいは普通にするのでさほど変わらない ということで、まず家を買う線からあたってみて ダメなら継続にしようと決めた Realtorは妻の知人に紹介してもらった (妻が勝手に紹介してもらったので焦る) そして家を買った同僚から 大学関係者向けに有利なプランを提供している地方銀行の人を紹介してもらい (大学職員は頭金10%でよく、年利も通常より安めという強力なプラン) シミュレーションをしてもらったところ(注:月々の支払には、Mortgageローン+頭金分のローン+家の保険+資産税が含まれているので、ローンだけの支払自体はもっと少ない) 20万ドルくらいの安い家だと(この地域での話)、頭金なしでも、月々の支払が今よりだいぶ少なく 25万ドルくらいの家だと、頭金なしでも、月々の支払が同じか少ないくらい 30万ドルくらいの家だと、頭金なしで、月々2500ドル近くいくことが分かった これは頭金10%での話なので、20%だともっと上がるだろう 頭金は20%いれないと、家は普通買えないが 多くの銀行は医師に対して、最初の家は頭金なしでもローンを組ませてくれる ただし、頭金の20%分は、二つ目のローンとして別に契約し、その年利はメインのローンの2倍近くと高い その二つめのローンを2年から3年かけて払うので、その間だけ月々の支払が格段に増える 頭金を払い終えると、いきなり楽になるシステム この地方銀行の場合頭金10%で良いので、頭金なしでも、普通の家くらいなら月々同じ額を払うだけで購入できてしまうのであった 頭金が払えるなら、いい家が普通に買えてしまう(払えないけど) というわけで2月に4件ほど家を見学したわけだが まさかのコロナパンデミック襲来で その後は見学しづらい状況に 結局どんな条件の家にしたのかはオブラートに包んでおくが 無事月々の支払は同じかむしろ少ないくらいでよりましな家に引っ越すことになった とさ