一度キャンセルになったシカゴ大学の面接ため、シカゴへ二度目の訪問をしてから2週間が経った。これが予定していた最後の面接であり、昨年6月から推薦状などの応募の準備を初め、9月に応募開始したフェローシップマッチへの道程も最終章となった。
NRMPによるマッチングを通さない個別申込のため、3人から4人の推薦状ライターにプログラムごとに、レターの宛先、送り先、メールなのかEメールなのかを変えて送ってもらわねばならず、色々と面倒な過程だった。
結局、アカデミックトレーニングが出来かつ院内でのレジデント教育やリーダーシップといったバランスの取れた2年以上のプログラムが自分の中で最低条件だったので(振り返ると厳しすぎる条件だったなぁ、ビザの事を軽く考えていたなぁと反省するばかりですが)、結局ネット検索と職場のホスピタリストと学会でであった医学教育系フェローシップのフェローやプログラムディレクターへの聞き込みからは、全米で5つのプログラムしかリストアップ出来なかった。
1年のプログラムは、始まってすぐに就活をしなければならず、わずかながら存在するであろうJ1 waiverできるアカデミックポジションを探すか(ホプキンスベイビューはその1つ)、よりハードルの低いアカデミックでないJ1 waiverポジションを探すか(都市部や都市部に近いが治安が悪く忙しい病院や、田舎の小さめの病院がターゲットになる)、もしくはO1をスポンサーしてくれるアカデミックポジションを探すか、またその全てを視野に手広く探すことを必要とするため、1年と2年の違いは自分の中では大きかった。
フェロー後の就活の不安もあって、ファカルティとして残れる可能性についても重視していたが、それはスクリーニングの段階では考慮しなかった。
結局、5箇所のうち3箇所から面接のオファーがきたので、そもそもビザ持ちはダメだとか書いてある割には良い感触だった。そのためにレジデンシーの2年間で履歴書を立派にして、プロジェクトやコースにも取り組んだので、そこはちゃんとやれていたようだ。
シカゴ大学は想像はしていたが、想像以上にアカデミックな大学であり、hospital medicine、education関係のリサーチはもう随分とされている印象だった。まぁ事前にインタビュアーの論文のアブストラクトにひたすら目を通していたので、分かってはいましたが…それにしても凄い数の論文に関わっている人がざらにいた。
メリットは、恵まれたリソース、メンター、データベースなど、自分のリサーチスキルを伸ばすのには抜群によく、その後grant funded investigatorを目指すのであれば最適だろう。医学教育フェローシップやマスターも同時にできるので、学びの場としては申し分ない所であった。
不安材料も同時にあり、皆激しくリサーチしているため、自分の興味のあることは既に過去に似たような事がされていたり、病院としての目指す方向性に合致していなければ、リサーチがしにくい雰囲気があることだった。
面接中に、どんな研究がしたいかについて、ひたすらアイデアを出していき、それはもうやったとか、それは難しいとか、それを少し変えてこんなテーマなら研究できるだとか、ブレインストームするような面接すらあった。
2、3個研究のアイデアが採用されたので、ある意味凄い濃い時間だったが、そこで異常な程の集中力を使ってしまったので、その後の面接は正直抜け殻のような状態で絶対に印象は良くなかっただろう。
給料、保険、学会費用負担などのベネフィットについては一切説明はなく、給料や保険についてはウェブサイトに大方明記されていたが、学会費用などのサポートについて聞きそびれてしまった、というか聞く隙が全くなく、次から次に面接をこなす1日だった。
フェローも毎年2人以上コンスタントに入っているようだったが、実際会うことはなかった。
昼には、手稲で昔チューターをされていた先生にランチに連れて行ってもらえた。いや凄い人が揃っているなぁ、と感心しっぱなしだった。
勿論雇ってもらえるのなら自分のアカデミックキャリアには大きなプラスだが、2-3年のフェローの後にファカルティとして残るのは難しそうだ。臨床だけやるclinical associateというポジションを除いては、Grantが取れないと残るのが厳しいって…ハードル高い
出来れば同じ施設に残れたほうが色んな意味で良いし、シカゴはベネフィットの部分に不安があるのが気になるところ。
因みに、シカゴはJビザはダメだとはっきり言われ、Jのまま採用できるようポジションを作ろうとしている、internal approvalがおりないと行けないので、どうなるか分からないけどやってみるとの返事をもらった。
すぐにウィスコンシンにも連絡を取ったが、そちらも、やっぱりJビザはECFMGの規則で絶対にindependent billingが出来ないルールがあって、そこに引っかかるからJビザはダメだと。何とかできないか解決策を模索している、との回答だった。
終わった…
渡米前にこの問題が分かっていれば良かったのだが、それはどんなに自分の情報収集力や人脈があっても前例が少なすぎただろうし、そもそもフェローをやったら帰国するつもりで渡米したから、一般的にフェローシップの応募で不利と言われるHビザでくる決心は出来なかっただろう。今回のビザ問題、Hビザで来ていれば全く問題なかったのだ。Hビザは就労のためのビザなので、指導医としての仕事もできる。
そこで、プランBを考えに考え抜いた。面接を受ける前は、ダメなら田舎の市中病院に行ってJ1 Waiverして(人が足りないような地域といったunderservedされている所の病院は、Waiverの資格があり、Jビザの人も雇える)、2 year requirementを消し、Hビザに替えて、3年なりそこで奉仕した後、フェローかアテンディングとしてアカデミアに戻る、のが良いと思っていた。
しかし、面接を通して熱い人達と会って、よりアカデミアや、自分の目標ややりたいことを続けることへの情熱が強くなってしまったので、やはり研修病院から離れてしまうことのデメリットは計り知れないと思うようになった。
そうなると、Jビザとさよならするために、一度日本の研修病院に戻り、2 year requirement をクリアしつつ、日本の卒後教育やQI教育、実践をハンズオンでやって、その後Hビザで再度渡米したほうが、遥かに良いと思えた。
日本の地域研修病院にもどれば、100%クリニカル、人やリソースも限られてしまうが、働きながらオンラインでマスターを取るのも可能だろう。大変だが、自分の道を進むには決して悪くない選択だった。
そゆな結論に至り、日本の就職先を探す準備をしていたときに、ウィスコンシンのプログラムディレクターからメールが来て、フェローシップのポジションのオファーを知らされたのだった。
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