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なぜ今の大学に残らなかったのか?

2年間で大学内で色々なネットワークを築けたので、残った方が圧倒的にやりやすいはずだが、6月のフェローシップ終了後は他へ移ることになった

ミルウォーキーは、冬の寒さと冬にやることがないことと、日本人補習校が遠いことを除けば、中規模の都市で、広々として、自然も近く、人々も優しく、日本人コミュニティも(NYと違い)家族ぐるみの付き合いが多く、シカゴまで1時間ちょっとの運転でつく利便性もあり、子持ちにとってはとても住みやすく満足していた。

ではなぜ残らなかったのか?

いや、残れなかったのか?

結論としては、残るメリットと、残りたくない気持ちが拮抗していたので、自分でもよくわからない、という他ない。なぜこうなってしまったのか?

今の大学では日本や他のプログラムではありえないほどに

自由に、アグレッシブに学ばせてもらっている反面

その分精神的にも肉体的にも辛い時間を過ごしてきたが

最近ようやく次の職場が決まり(ビザがおりればだが)

自分の中でフェローシップが終わる終わらないはどうでもいいことになってしまった

ホスピタリストの専門医が取れるわけでもないし

大学院はオンラインで他大学に通っているので

次の職場に行ってからでもプロジェクトをゆっくり終わらせれば学位が取れる

大学院のコースも、冬で全て取り終える。あとはプロジェクトを終わらせるだけ。

便秘のように溜まりに溜まって、ずっと頭を悩ませていたレジデントの時に終わらせたプロジェクトも、4枚の論文にして吐き出したし(アクセプトされる保障はないけれど)

ストレスもだいぶ軽減し、辛かった時間も少しは報われたと感じる今日この頃

就活の振り返りをするにはちょうどよい

就活に関する話は、まず2016年の7月まで遡る

2016年の7月にフェローとして働き始める3日前にECFMGから突然

やっぱり、間接的な監督では働いたらダメ、とお達しがあり

選択肢を与えられる間も無く、大学側の労働条件を飲むことに

それは平日日勤は何をやっても全てレジデントと同じ、ローテーションとしてカウントすること

それでは自分の給料が出ないので、給料分に見合うだけの、夜勤と週末の病棟カバーのシフトを毎年行うこと

というシンプルな案だった

一年目の給料が年間6万ドル(額面だけでもNYのレジデント時より安い)、さらに毎月手取りが五百ドルほど、大学院の授業料の税金として持っていかれていたので、家計はレジデントの時から相当悪化した。

大学院の授業料(卒業までに4万ドル程度)を収入にカウントしたとしても、ホスピタリストの半分の収入。よってフルタイムの半分、パートタイム分、年間66シフト働けば良い計算になる。

しかし、提示された必要シフト数は、年間77シフト。完全に足元を見られていた。

条件を飲む以外は日本に帰国せざるをえない事態だったので、文句も言わず働いた。

忙しい夜勤後にそのまま病院に残ってミーティングに出たり、週末勤務後に深夜まで残って大学院の宿題をやらないと終わらないことも度々あった。

毎週夜勤で体内時計のリズムを壊されても、平日は日中活動していないと他の仕事が進まないので、無理を押してでも活動し続けた。

最もモチベーションの高い初めの半年で、身も心も疲弊した。

今からでもJビザからOビザに変えれば、今の制約がなくなるので

プログラムディレクターと課長に掛け合ってみた

ディレクターはオッケーだったが、肝心の課長はビザ担当部門に聞いてくれ、フェローのことなので自分は感知しないと素っ気ない態度

ビザ担当と大学お抱えの弁護士に聞いたところ、実績が足りず無理だろうと言われた

では実績を作れば文句ないだろうと、レジデントの時にやったプロジェクトの論文を急いで書いた

しかし、NY時代の指導医たちに大きく足をひきづられた。何度メールを送っても、たった一つの論文原稿に目を通してもらうだけで1ヶ月以上かかるような状況だった

にも関わらず、2時間もあれば添削できたであろうレベルのフィードバックしか返さない。愚直すぎたその頃の自分は、返事を根気強く待ち、返ってきたコメントはズレた意見でも取り入れた。

当然、自分の全ての行動は裏目に出た。提出したジャーナルからは大量の指摘をつけて返された(主に指導医たちが変更した点について)。すぐに指摘に対する答えを修正を完成させ、「これで行こうと思いますから、ご意見ください」と指導医たちに聞いたところ、「急ぐな」と釘を刺された。

あまりの仕事の遅さに耐えてずっと我慢していたので、堪忍袋の緒がキレて、トーンを強めてお願いした。

…無視された

そしてなんと、それから約1年に渡り向こうから連絡がくることはなかった。もう彼らと仕事をすることは金輪際ないだろう。

Oビザは当面話を進めてくれないことがわかったので、レジデントの時の論文は一旦中断して、2017年に入ってからは大学院のコースを終わらせるのに必死だった。

そして2017年6−7月、本格的に就職を始めた。

ウェイバー経験者の同僚からウェイバー可能な病院を検索できる連邦政府のサイトを教えてもらい、まずはJ1ウェイバーができそうな大学病院や中心に探してメールを送り始めた。

感触は悪かった。というのも、ウェイバー可能な地域に国から指定されていても、様々な理由でその大学だけ除外されていることが多かった。

初めにリストアップした(有名)大学はほとんどウェイバー自体できないことがわかった。

この時点で8月後半。次は、大学関連病院、その他市中のメディカルセンターやVAも含めてウェイバーできるところを探し始めた。念のため、問い合わせる時には、O1ビザかウェイバーで探していると聞いて回った。そしてこの時は求人広告も活用した。

このアプローチで、大学病院も大学関連病院も何箇所か興味を示してくれ

その中でもピッツバーグ大学関連病院がウェイバーもできるということで

電話面接も二度ほど行い、こちらは行く気満々だったが

今から準備してもウェイバーの締め切りに間に合わないということで破談になった

イエール大学病院もウェイバーできると電話面接をしたが、アカデミックにやっていきたいという強い希望を語ったら、「うちは臨床だけやってくれる人を探している」と破談になった。

研究の話とかばかりしていたのがダメだったようだ。

この時点で9月下旬。残念ながら、Conradウェイバーと呼ばれる各州が提供するウェイバーの応募開始が10月初め、締め切りが大体12月初めなので

9月中に契約書まで話が行っていないと、その後の大量の書類に時間がかかるため可能性はぐっと減るようだった。

10月になり、ウェイバーするにはよほど運が良くないか(例えばイリノイ州のウェイバーは、12月までの応募で30ポジション埋まらなければ1月に再度募集がかかる)、時期を問わず申請できるはずのVAのウェイバー、National Interest Waiver、Delta Regional Authorityウェイバーと行った、限られた地域・条件の選択肢を探すしかなくなった。

しかし、アカデミックでないところに行くつもりはゼロだったので

今後はO1ビザの条件も含めて真剣に探した

もちろんこの段階で初めにアプローチしたのは

今の大学、そして今の課長。しかし、

「うーん、ビザとか全然わからないんだよね〜。今のレジデントでうちに入りたい人が複数人いるから今の段階では難しいな」=自分の膝元には置いておく希望はない

さらに

「近い将来、関連病院の人事も任される可能性があるから、そしたらポジションが空くかもしれない」=大学関連という名の、まったくアカデミックでないところでだったら雇ってもいい

とだけ伝えられた。

ディレクターと科長には、フェローにはここに残って活躍してほしい、と強く言われていただけに、課長が違う見解を持っているのは明らかだった。

Oビザだと地域を限定する必要がなくなるので、自分の行きたいと思う大学(規模の大きな中堅大学が好み)にメールして見たところ、多くの大学が電話面接で親身に話を聞いてくれ、Oビザの可能性について確認してくれた。

しかし、どこもビザ担当者が、首を縦に振らなかった。

多くの場合Oビザは、ビザ専門の弁護士を自分で雇って準備するので

ビザ担当や大学お抱えの弁護士がなんと言おうと関係ないように思えるが

実際は、Oビザに詳しくない雇用者は必ずビザ担当者に、その過程で良いかを確認がいき

「うちの大学のOビザの基準を満たしていないからやめてください」

と話が頓挫してしまうのだ(インパクトのある論文をいくつも書いている候補者を除く)

そうこうしているうちに11月に入り、ミッドウエスト大学(仮名)のVAと、KFC大学(仮名)の応募が新しく出たので、問い合わせて見たところ

VAはウェイバーできますよ、12月以降採用枠が確保できるかわかるので、話を進めましょう

KFCはジムの人から「うちはOビザなんてやってません」、とお断りのメール

この時点ではVAでウェイバーするだろうと思っていた

しかし、ディレクターがたまたまKFCの採用担当医師をよく知っているということで

(頼んでもいないのに)直接連絡を取ってくれたところ、そこは大学お抱えの弁護士がOビザ専門ということで

こちらも面接に呼ばれることとなった

二つのうち、早くオファーを出してくれたところに決めようと心に決めていたが

なんと同じ週に面接が組まれることに

偶然とは思えないタイミングほどの奇跡のタイミング

両方のプログラムを実際に受けてから決められるという状況になり

KFCが色々な面で、今の大学よりも、ミッドウエスト大学よりもはるかによかったので

後悔することなく契約書にサインできた

KFC大学のボスは、ホスピタリストの領域では有名人であり

今の課長がやっているような、ランダムに米国人ホスピタリストを雇うよりも

自分のように、目標に向かって邁進している人材を集めているということだ

自分が今苦労してやっていることを認めてくれるボスが突然現れたことで

今の大学への未練は、ふっと消え去ってしまった

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