自分はJビザで渡米したが、ビザの選択の重要性はフェローシップの応募まで気づいていなかった。
渡米前後は、
一般的に、より良いフェローシップに行きたいのであればJが有利。
競争率の高い専門科だと、Hではフェローシップのハードルが高くなる。
と言う情報だけ得ており、医学教育系のフェローシップを目標にしていた自分は迷わずJにした。
Clinical J visaはECFMGが全て一括してスポンサーしている。なので病院やプログラム側は、TPLという部署が必要書類を提出するだけ。
Hビザや専門職で働くためのビザなので、スポンサーは各病院・プログラム。なので、Hビザを提供するかどうかは各病院による。
現在の流れとしては、レジデンシーでHビザを提供するプログラムは年々減少傾向のよう。フェローシップで面接したホプキンスベイビューも最近Hを廃止したと言っていた。フェローシップに関してはさらに顕著。Hビザというだけで極端に面接に呼ばれる数が減るというのはよく知られた話。
ちなみにJからHには自由に変えられないが
HからJは変えられる
2014-5年あたりから、一度clinical Jをとって、他のビザに変えた人は、clinical Jに再度変更し戻すことはできないとなった。ビザをコロコロ変更することで米国に長く滞在しようとする人への対処らしい。
米国にはビザ持ちの医学生が普通にいるので(生まれは海外、親と共に途中で移住した人)、その人たちは米国医学校卒業にもかかわらずHビザが必須になる。どんなに優秀であっても、Hビザを認めているプログラムにしか行けないという残念な話を聞いたことがある。
Hが取りにくい、という噂について。確かに3月のマッチデーから申請を始めると時間的にはギリギリだが、Jも正直ギリギリまでかかってやきもきした。ポジションのオファーがあればあとは書類作業をやるだけで、後述のOビザなどに比べれば何が取りにくいのかはよくわからない。
多くの大学病院はビザの専門家・ビザ担当部署を配置し、弁護士とも繋がっている。少なくとも僕が面接した大学病院はHビザは最も簡単なビザ、と位置付けていた。
上述の米国医学校卒業性だけど外国人の他にもHビザにすべき場合がある。
専門医の資格(board)のないフェローシップを考える人。BoardがないフェローシップはACGMEとか関係ない、ECFMGの定義するnon standard programというカテゴリーに入る。
別にそれでもビザは降りるのだが、アカデミックフェローシップ、つまり臨床以外のスキル(リサーチ、教育、リーダーシップなど)を主目的にしたフェローシップの場合、臨床は指導医としての仕事を求められるため、ECFMGのJビザの規定に引っかかる。
Jビザはトレイニー用のビザなので、independent billingができない。場合にもよるようだが、indirect supervisionは自分の場合、研修開始1週間前になった段階になって突然却下された。
ECFMGの対応は、どんなフェローシップだろうが、臨床は、他の専門科のフェローと同等に扱うべきだという意思があわれている。普通、フェローは多くのことを任されてはいるが、必ず指導医がケースについて議論し、ノートにサインし、billingを行っている。
自分にも同じことをギリギリになって追加注文してくるという事態になったわけだ。
周囲にはindirect supervisionで同様のフェローをやっていたJビザの方もいるので、運や、ECFMGへの書類の書き方にも左右されると思われる。昨年、10年くらい前に医学教育やGIMフェローをされた日本人の方々にも相談する機会があったが、二人ともJビザで指導医レベルのことをするのに何の問題もなかったらしい。
起こってしまったことは仕方ないので、次に解決方法を探るわけだが
元々フェロー終了後に考えていた、Oビザへの変更を早める
くらいしか現時点では判明していない。
JからHに変えるには、2年の帰国ルールの義務を放棄(ウェイバー)することが必要。
医師不足やunderservedに指定された病院に勤めることが一番確実な方法で、グリーンカードへの道も開ける。今の病院で働くグリーンカード所持者はその道を通っている。今の病院は対象外。
ちなみに指定された病院かどうかは、お国のサイトで各病院ごとに検索して調べることが可能。以外にも通勤圏内に指定の総合病院があったりするので、とても有用。
JからOは変えられるが、2年間の帰国義務は消えない。ただ、帰国義務はいつこなしてもいいため、Oを更新し続ければ、20年後に帰国したって構わない。
医師がOビザを取るには、リサーチャーとして成功した根拠を証明できることなど、列記された必要項目中3つ?ほど文書で証明しないといけないらしい。
区域によって難度が異なるという噂も。東より西が簡単など。論文0でも認められたケースなどもあるが、書類の集め方、書き方、地域、弁護士など色々な要素がありそうなので、不明。
中西部ウィスコンシンは、Oビザは厳しい方だと予想する
病院担当の弁護士曰く、論文1枚程度では難しいらしい。
来年の状況を見て、また判断しよう。
渡米前後は、
一般的に、より良いフェローシップに行きたいのであればJが有利。
競争率の高い専門科だと、Hではフェローシップのハードルが高くなる。
と言う情報だけ得ており、医学教育系のフェローシップを目標にしていた自分は迷わずJにした。
Clinical J visaはECFMGが全て一括してスポンサーしている。なので病院やプログラム側は、TPLという部署が必要書類を提出するだけ。
Hビザや専門職で働くためのビザなので、スポンサーは各病院・プログラム。なので、Hビザを提供するかどうかは各病院による。
現在の流れとしては、レジデンシーでHビザを提供するプログラムは年々減少傾向のよう。フェローシップで面接したホプキンスベイビューも最近Hを廃止したと言っていた。フェローシップに関してはさらに顕著。Hビザというだけで極端に面接に呼ばれる数が減るというのはよく知られた話。
ちなみにJからHには自由に変えられないが
HからJは変えられる
2014-5年あたりから、一度clinical Jをとって、他のビザに変えた人は、clinical Jに再度変更し戻すことはできないとなった。ビザをコロコロ変更することで米国に長く滞在しようとする人への対処らしい。
米国にはビザ持ちの医学生が普通にいるので(生まれは海外、親と共に途中で移住した人)、その人たちは米国医学校卒業にもかかわらずHビザが必須になる。どんなに優秀であっても、Hビザを認めているプログラムにしか行けないという残念な話を聞いたことがある。
Hが取りにくい、という噂について。確かに3月のマッチデーから申請を始めると時間的にはギリギリだが、Jも正直ギリギリまでかかってやきもきした。ポジションのオファーがあればあとは書類作業をやるだけで、後述のOビザなどに比べれば何が取りにくいのかはよくわからない。
多くの大学病院はビザの専門家・ビザ担当部署を配置し、弁護士とも繋がっている。少なくとも僕が面接した大学病院はHビザは最も簡単なビザ、と位置付けていた。
上述の米国医学校卒業性だけど外国人の他にもHビザにすべき場合がある。
専門医の資格(board)のないフェローシップを考える人。BoardがないフェローシップはACGMEとか関係ない、ECFMGの定義するnon standard programというカテゴリーに入る。
別にそれでもビザは降りるのだが、アカデミックフェローシップ、つまり臨床以外のスキル(リサーチ、教育、リーダーシップなど)を主目的にしたフェローシップの場合、臨床は指導医としての仕事を求められるため、ECFMGのJビザの規定に引っかかる。
Jビザはトレイニー用のビザなので、independent billingができない。場合にもよるようだが、indirect supervisionは自分の場合、研修開始1週間前になった段階になって突然却下された。
ECFMGの対応は、どんなフェローシップだろうが、臨床は、他の専門科のフェローと同等に扱うべきだという意思があわれている。普通、フェローは多くのことを任されてはいるが、必ず指導医がケースについて議論し、ノートにサインし、billingを行っている。
自分にも同じことをギリギリになって追加注文してくるという事態になったわけだ。
周囲にはindirect supervisionで同様のフェローをやっていたJビザの方もいるので、運や、ECFMGへの書類の書き方にも左右されると思われる。昨年、10年くらい前に医学教育やGIMフェローをされた日本人の方々にも相談する機会があったが、二人ともJビザで指導医レベルのことをするのに何の問題もなかったらしい。
起こってしまったことは仕方ないので、次に解決方法を探るわけだが
元々フェロー終了後に考えていた、Oビザへの変更を早める
くらいしか現時点では判明していない。
JからHに変えるには、2年の帰国ルールの義務を放棄(ウェイバー)することが必要。
医師不足やunderservedに指定された病院に勤めることが一番確実な方法で、グリーンカードへの道も開ける。今の病院で働くグリーンカード所持者はその道を通っている。今の病院は対象外。
ちなみに指定された病院かどうかは、お国のサイトで各病院ごとに検索して調べることが可能。以外にも通勤圏内に指定の総合病院があったりするので、とても有用。
JからOは変えられるが、2年間の帰国義務は消えない。ただ、帰国義務はいつこなしてもいいため、Oを更新し続ければ、20年後に帰国したって構わない。
医師がOビザを取るには、リサーチャーとして成功した根拠を証明できることなど、列記された必要項目中3つ?ほど文書で証明しないといけないらしい。
区域によって難度が異なるという噂も。東より西が簡単など。論文0でも認められたケースなどもあるが、書類の集め方、書き方、地域、弁護士など色々な要素がありそうなので、不明。
中西部ウィスコンシンは、Oビザは厳しい方だと予想する
病院担当の弁護士曰く、論文1枚程度では難しいらしい。
来年の状況を見て、また判断しよう。
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