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質的研究 定義と哲学的位置づけ

今学期の質的研究のコースはかなりヘビー。自分用メモ。

出版終了したShankのQualitative Researchの本から。正直読みづらい。冗長。比喩は多いが、具体的な例は少ない。これで質的研究を勉強しようという人は少ないだろう。分かりにくい、もしくは分かっていないことを分かりやすく説明するのがプロの仕事のはず。

Qualitative scienceとQualitative inquiryの話

質的研究の3つのビジョン

Mirror(Reflective・Speculative) 
Window(Systematic・Objective・Bias/Error) 
Lantern(Illumination・質的研究ではここ重視)


アドバンススキルとして
観察、解析、など色々書いてあったが、正直覚える必要はなさそう

二つ目のテキスト MerriamのQualitative Research。これは絶賛発売中。

Basic ResearchとApplied Research
Basic Researchは全く新しいことを発見すること。基礎研究ベンチリサーチが入るだろう。
Applied Researchはプラクティスを改善するために行うもの。臨床研究は概ねここに入るだろう。

Applied ResearchはEvaluation ResearchやAction ResearchそしてAppreciative Inquiryを含む。

Evaluation Researchは何かの価値を評価
Action Researchは現場の特定の問題を扱い改善する。QIと同じだが、QIという言葉は一切使用していない
Appreciative Inquiryは、Action Researchの逆で、現場の良いことをStory Tellingなどで取り上げてInnovationを促す

Qualitative Research vs Quantitative Research

二つのテキストでも表現の仕方は異なる。明確な定義づけは難しいようだが、質的と量的研究の違いは多くあり。割愛。

もっとも簡単な表現は、質的は言葉をデータとして扱い、量的は数字をデータとして使う。

これはあまりに広すぎる定義づけだと思いきや、質的研究の含む範囲が広すぎるため、「解釈的」とか呼ばずあえて「質的」などという広い言葉が使われているようだ。

二つのテキストに共通したメッセージは、質的は意味”Meaning”を見つけることや、理解すること。

これまで調べられてこなかった人々の経験・経験した現象について、その人たちの解釈に関して、理解し、どんな意味を、どのように構成しているかなどを調べる。

Giving voice to points of view of peopleというのも、ある程度の質的研究の本質を表現している。

色々と定義らしきものが紹介されているが、最もぴんと来るわかりやすい定義は

「Qualitative Research is an umbrella term covering an array of Interpretive techniques which seek to describe, decode, translate, and otherwise come to terms with The Meaning, not the frequency of certain more or less naturally occuring phenomena in the social world」1979年のVan Maanenさん、ありがとう。

Philosophical Perspective in Qualitative Research

The nature of reality = Ontology
The nature of knowledge =Epistemology

にフォーカスした著書が多いとのこと。要するに現在の質的研究はこのレンズを使っていると。

その中の形態として、
1:Positivist = Reality exists out There.というスタンス。Realityは観察可能、安定、測定可能。研究によって得られた結果は、科学的とラベルされ、法則の確立とされる。

この態度は、Postpositivismに屈した。研究によって得られた結果とは相対的な(Relative)ものであり絶対ではない。しかし、疑問に対して、経験的な証拠からある程度の区別は可能である(Relative)というスタンス。

2:Interpretive Research = 最もコモン。確かに質的研究の論文ではもっぱら見かける用語。Reality is socially contructedというスタンス。観察できる唯一解など存在しない。むしろ一つの現象の中でもたくさんのRealityと解釈が存在する。つまり研究者はBasic Researchのように知識を発見するのではなく、知識を建設(Contruct)する。

ConstructivismはInterpretivismと相互的に使用される。これは確かにそうだ。なぜ同じことをやっているのに用語の使用がバラバラなのか疑問に思っていた。本当困る。

PhenomenologyとSymbolic Interactionism ここは具体的な例が思いつかないのでハテナマーク
Phenomenology:We can only know what We experienceという哲学に基づく。人々が経験について、彼らの感覚を通してどのように描写するかを研究することらしいが。Objectivityを放棄しているように聞こえるので、当面使う必要はなさそう。

Symbolic Interactionism:人々の行動を理解するときにInteractionを使って解釈を行う?これだけだと説明不足だと思うが、まぁ寝かせておこう。

3:Critical Research:All thought is mediated by power relations that are historically and socially constructedという前提。批判・チャレンジすることにより、Transform・Empowerする。リサーチクエスチョンは、権力Powerに関連づけられる。誰が持っているか、どうNegotiateされているか、社会のどの構造が権力の分配を決めているかなど。うーん、実例を出して欲しい。

4:”Post”という括り

PoststructualismやPostmodernism

もはや一つの真実などないと、今までのアプローチの前提を否定している。やり方としては描写的・解釈的な手法をとるわけだが、Interpretivismとはだいぶ違う。

これらは哲学的考え方・アプローチの話であり、現在の質的研究の多くは”Post”のポジションを持っているという人の言葉が引用されていた。Grounded Theoryなどもそのひとつに入れているが、それ以上の説明がない。混乱させたいのか?

確かに”Constructivist” Grounded Theoryなど論文に書く人もいるが、Philosophical Orientation(自分の中では真実の考え方・前提と言ってもらった方が理解しやすいが)なアプローチを書く方がいいのだろうか。



結局定義は多種多様な表現がされてきたので、ここで、共通して見られるという4つの特徴について言及。他方のテキストとも重複していた。

1:Focus on Meaning and understanding:Emic versus Etic
2:Researcher as Primary Instrument
3:Inductive process
4:Rich description



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